神戸家庭裁判所 昭和34年(家イ)538号 審判 1960年5月06日
申立人 三田明子(仮名)
相手方 三田功(仮名)
主文
申立人と相手方とを離婚する。
当事者間の二女花子(昭和一六年三月○○日生)の親権者を母である申立人と定める。
理由
申立人は主文と同旨の調停を申し立て、その実情として申立人と相手方とは昭和一〇年九月一九日婚姻届をした夫婦で、その間に勇(昭和一〇年一一月○○日生)、良子(昭和一三年一〇月○日生)及び花子(昭和一六年三月○○日生)の一男二女があるのであるが、相手方は二女花子出生後昭和一七年頃から奇異な発作を起すようになつた。それは睡眠中に手をバタバタさせたり、呻き声を発したり涎を垂らしたし申立人には後で分つたのであるが、それが癲癇の発作であるということである。そして当初は半年に一度位であつた発作が次第に多くなり後には一か月に二~三回も起るようになつた。その都度申立人に出て行けといつて大声で怒鳴り散らしたり、手当り次第にそこら中の物を破壊したりしてひどい乱暴をするので、危なくて夜も寝られず、申立人はいつも刃物を隠して就寝するという有様であつた。申立人は辛抱して相手方に仕えて来たが堪え切れなくなつた末相手方の兄等親族の者とも相談の結果相手方との間に離婚の合意がまとまり、昭和二七年一〇月からは夫婦が別居しそのまま今日まで離婚同様の状態が続いているのである。その間昭和二八年九月二一日相手方は癲癇発作のため○○○精神病院に入院し爾来六年有余入院生活を続けているがその病状は回復の見込がない。
一方申立人は相手方との別居後何やかやと実家の世話になつて子女の監護教育に専念する傍ら最近昭和三四年一月から役所の臨時雇として月額八、〇〇〇円程度の収入を得ているが、それも四、七〇〇円が自分の手許に残るだけでその余は全部相手方の入院病養の費用に向けなければならないので自己の生活も困難の状態に陥り、その負担にも堪えかねるばかりでなく(現在はそれも離職して失業中しである)さきに昭和二七年中相手方と離婚の合意まで出来ていたものを申立人の母の意見を尊重した結果正式の離婚届がのびのびになり、ついにこういう事態に立ち至つたのであるからこの際戸籍の上でも離婚の手続ができるようこの申立をした次第であつて正式の離婚届をした後も相手方の療養のためにはできるだけのことはするつもりであると述べ、なお当事者間の二女花子の親権者は申立人に指定するよう併せてその申立をする次第であると述べた。
相手方は、本件申立に対し、申立人の離婚したいという気持は了解できるけれども、自分の意思を無視したやり方で入院させられた事情にあり、入院以来小遣の仕送りも碌にせずにいて離婚の申立は余りに「戸主権」を無視したものであるから申立人の離婚の申立に応じられない旨陳述した。
以上の経過で本件調停委員会の調停は成立しないのであるが、当裁判所は上記の事実のほか○○○精神病院長森滋郎の供述にみられる如く、相手方の症状が癲癇と精神発作で回復困難であり、知能は劣つていないが特有の自己中心的な態度を示していることや、同病院でみられた如く相手方は著しく難聴で対話も容易にできない状態にあることや、温和な言動をとつているかと思うと一旦気に入らない話題になると激しい身体的運動を伴う攻撃的態度に出ること、さらに相手方の入院当時の事情は申立人の関与しないものであり又申立人は相手方の小遣や日用品等の仕送りを怠らず、余暇に面会に出向くなど献身的な態度をとつていたことその他一切の事実を観て調停委員の意見を聴いた上、離婚の審判をするのを相当と認め、なお当事者間の未成年の子二女花子の父母離婚後の親権者については以上の実情からみて申立人と定めるのが本人の福祉のため相当であると考えるので主支の通り審判するものである。
(家事審判官 山下鉄雄)